*

どれだけ歳を重ねてもアナタとの距離は変わらない。
どれだけ―――10年経っても、きっと20年経ってもずっと。


恍惚と


額にそっと落ちる柔らかい感触に息を吐く。
体温が馴染む前にすぐに離れていくのがアナタのやり方だね、と。諦めのような苛立ちのような感情の中で、それでも焔のように灯る感情だけはずっと変わらない。
ずっと。
10年も前から。

「久しぶりだな。元気だったか?」
鮮やかに屈託なく笑う彼の元家庭教師に、雲雀は笑みを刻むコトなく思い切りその飴色の瞳を睨みつけた。目線だけで殺してやるという程に強く。
ディーノは苦笑しただけだった。
「ったく、相変わらずだなぁ。お前は。」
仕方ないな。
そう言ってもう一度笑うのだ。
憎たらしくて仕方が無い。そうやっていつでも軽く笑って受け流して、それで何が残ると言うのか。
彼の心に一体何が残ると。
忌まわしい程に雲雀の心にこびりついて離れない、腹立たしいこの想いの一片でも残す気は無いのだ、と。思いきり突き放されているような只管に不快な態度で。
コーヒーでも用意させると離れていこうとするその腕を雲雀は乱暴に掴んだ。
「恭弥、」
まだ追い越せない身長で見下ろされて、それで更に掴む指に力を込める。
出会った頃に比べれば格段に近づいた身長も何のプラスになっていない。

きっと追い越しても変わらないんでしょう?

…眩暈がする。
雲雀は空いた方の手できっちりと結ばれたネクタイを引っ張った。
―――ねぇ、
「ねぇ、唇にはしてくれないの。」
桜色の唇が一瞬だけ強張るのを雲雀は見逃さなかった。
腕を引いていた手を滑らせて腰に回して、体を引き寄せる、摺り寄せる。
「恭弥。」
窘めるように呼ばれても無視を決め込む。
どちらにせよアナタは僕を拒絶しないし受け入れもしないし突き放しもしないし委ねもしない。
雲雀にはそれがわかっていたから。
仕返しとばかりにディーノの形の良い顎に唇を寄せた。
真似てすぐに離したけれど、なんとなくそれだけでは納得いかなくて今度は舌を這わせる。
くすぐったい、と。誤魔化そうとする年上の卑怯者に軽く歯を立てると腰に回していた手を下肢に滑らせた。
「コラ、恭弥。」
小さい子供を叱りつける様に突き放そうとするのを雲雀は勿論許さない。
ネクタイを思いきり乱暴に緩めてやって、
その拍子にボタンが弾けて乱れた襟元から首筋に手を差し入れて、
「してよ。」
その口元に己の唇を近づけて。
ディーノが小さく息を吐くのが感じ取れる距離。
密着させた体はしかし、衣服に邪魔されてうまく熱も伝わらない。
「ねぇ。」
しな垂れる様に体を更に押し付ける。
困ったように、恭弥、と。吐息と共に紡ぎ出される掠れた甘い声がただ哀しい。
ディーノは目線を一度逸らすと、また苦笑して唇を寄せた。
雲雀の鼻先へと。
「随分甘えただな。」
ちょん、と。小鳥のような重みの無い口付けは、また同じように熱を込めずにすぐに離れていく。
まるで堂々巡り。

巡り巡ってどこにも飛べない。

…もうたくさんだった。
「っ、」
壁にその体を乱雑に追い詰めると、声も息も取り込むように深く唇を覆った。
もう何もかも邪魔だった。
衣服が煩わしい。熱が、鼓動が。
距離も、感情も。
全部。
ディーノも。
雲雀自身も。
ぴっちりとかみ合わせた唇でもどちらともしれない唾液が伝い落ちるくらいには隙間がある。
舌が痺れるほどに口腔内を荒らしていく。
互いの体温が混ざり合った唾液が新しい熱を作っていくその過程。
雲雀が強く深く望んだものだった。
忘れらないその熱。
唇を離して、でも今度は熟れた唇に吸い付く。
零れた唾液がディーノの顎を伝い、首筋を伝い、憎たらしいタトゥーを伝い。
でもそれもすぐに蒸発して何も残らない。
唇を甘く噛んでいる雲雀の肩に、やんわりと押しのけるようにディーノの手が添えられた。
「……ょ、うや。」
「…どうして…?」
そうしてまた深く重ねる。


「昔は、アナタからしてきたのに。」
互いの口元を繋ぐような透明な唾液の糸。
唇を動かせばすぐに消えた。
「……お前は、嫌がってたじゃないか。」
ぐい、と。口元を思い切り手の甲で拭う様を雲雀は記憶に刻んでいく。
下肢を撫で摩る雲雀の手をディーノは当然窘めるが、無論聞く気もなかった。
「体だって。」
遠い昔に一度だけ重ねたコトもあった。
望んだのはどちらで受け入れたのはどちらだっただろう?
「10年も前だ。」
「10年しか経ってない。」
そう言ってディーノの肩口に鼻先を埋めた。
甘い匂いは10年前からずっと変わらない。
「用がなくなったらあっさり投げ捨てて。」
「人聞きの悪いコト言うなよ。」
「事実でしょ。」
もうこのまま抱いてしまおうと思った。
どうせディーノは拒絶しても本当の意味で突き放したりはしないのだ。
突き放さない。けれど、受け入れもしない。
「ひどいヒト。」
10年経った。
この憎たらしい年上のヒトも、もうとっくに身を固めていてもおかしくない年齢になっている。
それでも未だに一人身で在り続けるのは偏に雲雀のせいであった。
「アナタは僕を突き放せない。」
甘い考えだ。
ディーノは雲雀が自身に執着しているのをわかっている。
わかっていて突き放さないのはただの甘えだ。大事な教え子だから、と。
そうしてその結果がコレである。
雲雀は10年もの間スタンスを崩すことなく、そしてディーノに無闇に近づく輩を許さない。
「パーティーが始まるね。」
「……わかってるなら離れろって。行かなきゃ、だろ。お前も、俺も。」
「アナタはここで、僕の下で踊ってればいいよ。」
「…恭弥。」
「何、上がいいの。」
「ツナ達も来てるんだろ?お前だって、」
「そんな言葉、聞きたくもないよ。」
言葉を封じるようにそっと唇をそこに添えた。



また10年経っても20年経っても違った未来が思い描けない。
アナタが僕のモノなら良かったのに。
ディーノは苦笑して雲雀の頭を小さく撫でた。


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*

シャワーを浴びる

1

頭から湯を思い切りかけて泡を落とした。汗やらが流れてすっきり気持ちが良い。
シャワーのコックを捻って水流を止めると、ディーノは頭をプルプルと振った。
「そうすると本当に動物みたいだね。」
そうして突如として背後からした聞き覚えのある声に思わずうひゃあと情けない声を上げてしまう。振り返る間もなくディーノの脇からするりと体を巡らせながら、その闖入者は自然と腰の辺りに触れてきた。
「…きょ、きょうやっ…。」
「まだ泡が残ってるよ。」
「いや、ってかおま…いつの間に、」
「今さっき。」
気づかない自分も自分だとは思うが、何も言わずに入ってくる雲雀も雲雀だとディーノは思う。ディーノが浴室に入った時は確かにベッドの上で静かに寝ていたのだ。
「突拍子も無く入ってくるなよなぁ!ビックリするだろ。」
「だって、起きたらアナタがいないから。」
「…いないと入ってくるのかよ。」
そうは言っても雲雀の、こういった気まぐれさは今に始まったコトではないので『まぁいいけどよ』と早々に言及を放棄するディーノだった。
そもそもここ――ディーノの宿泊している日本のホテルにだって何だか勝手についたきたのだし。その点もディーノは『まぁいいけど』で済ませてしまっている。
ロマーリオは何故だか泣いていた。
「せめて声くらいかけろって。」
「別に、どうでもいいじゃない。」
脱力しているディーノを尻目にシャワーのコックを捻った雲雀は、流れ出した水流で勝手にディーノの体に残った泡を流していた。ついでに自身も頭から浴びている。
「……うーん、エロいな。」
水も滴る雲雀を見たディーノの見解だった。
言う人間が言う人間なら限りなく危ない発言だったが、如何せん発したのはディーノだ。
雲雀は複雑そうにカタチの良い眉を顰めると水流をディーノに向けた。勿論顔に。
「ぶっ。」
「…アナタがそれを言うのって思うよ。」
ヤレヤレといった様相で雲雀が再びシャワーのコックを捻って湯を止める。
「鼻入った……ぉ、おまえな〜〜。」
「後ろからいきなり手を出さなかっただけでもありがたいと思って。」
「何だそりゃ。」
ディーノの問いには答えず、雲雀は澱みも一切無い動作で浴槽へ湯を張り始めた。
「……風呂、入んのか?」
「入りに来たんだから当然でしょ。」
「いやまぁそりゃそうだけどな…。」
ディーノとしてみれば出ようとしていたところだったしある意味丁度良かったのだろう、か?
風呂に入るのであれば普通は湯を張ってから入るんじゃなかろうかとか思いながらも、まぁ恭弥は変わりもんだしなぁ、と。あっさり納得してしまった。
そんなわけでごくごく自然に浴室を去ろうとするディーノを、ごくごく自然に引き寄せてついでに足払いをかける不埒者がいた。勿論雲雀である。
「…う、わっ…!」
ガンッ!と。鈍い音を立ててディーノは後頭部を風呂の淵に強打した。
そらもう悶絶するしかない。
声無き声を上げながら頭を抱え込む(一応仮にも)家庭教師を労いもせずに雲雀が無言で覆いかぶさってくる…のを当然ディーノは意識するどころではなく、
「っっっいってぇ〜〜〜…。」
「………血は出てないね。」
残念。
そう言いながらも優しく口付けてくる雲雀に『可愛いじゃねぇか』と一瞬思いかけてから、いやそうじゃなくて、と思い直す。
「…おま、お前のせいでっ…。」
「うん、そうだね、だから慰めてあげる。」
遠慮しますと言おうとするディーノを感じ取ってか、また綺麗に口を塞いでくる。先を言わせるつもりは無いらしい動作にクラクラする頭で反論を考えるが思考がどうにも定まらない。とりあえず今すぐここから出てベッドに寝転がりたいとは思っている、のだ、が。
「お湯が溜まるまでただボーっとしてるのも寒いでしょ。」
そりゃそうだが。
だから、どうして、
「温めてよ。」
反論は勿論いっぱいあるはずなのに、するすると下へ下へと下りてくる手を、指を、不快にはどうしても思えないのだから結局ディーノも同罪なのかもしれない。
湯が浴槽へと流れる音が大きく響き渡っているのに、ディーノにしてみれば雲雀の小さな息遣いばかりが耳に入ってくるのだ。少しだけ荒いようなそれに愛しさのようなものを感じてしまう。
「僕も温めてげる。」
シャワーを浴びた意味があまり無くなってしまいそうだな、と。思うのを、痛む頭のせいにして考えないコトにした。


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シャワーを浴びる

2

何やかんやでディーノは雲雀が可愛いのだ。
…というのを雲雀はキッチリと理解している。
温かいお湯がたぷりと揺れる浴槽の中で、ディーノが淵に頬をつけながらぐったりしていた。目元が赤いのはのぼせているせいではない。
(もっと怒ればいいのにね。)
無理やりふたりで入っている浴槽はお世辞にも広いとは言えない。と言うか狭い。
そういう目的のホテルではないのだから当然と言えば当然なのだが。
居心地の良い場所を探すように身じろぐフリをして、最終的にはぴたりと寄り添うように落ち着いた雲雀をディーノは一瞥したくらいで文句は言わない。
誰にでもこうなのだろうかと非常に不安だ。だってそんなの許せるはずが無い。と言うか絶対にダメだ。
「熱い?」
「…いや。」
官能的な唇が小さく動いて声が空気を揺らす。卑猥だ。
なので思わず塞いだ自分に罪はないと雲雀は真剣に思っている。
あまり深く入り込むと湯が水になるまでここを動けなくなりそうなので添えるだけだ。邪魔そうな前髪をかき上げてやりながら何度か触れると、ディーノが小さく舌を覗かせた。
狙ってはいないだろうがこれはいけない。
(可愛いひと。)
代わりに唇を滑らせて鎖骨の辺りをベロリと舐め上げた。
「う。」
「あたたかいね。」
「……そうだけど、なぁ……俺まで何で結局風呂入ってるんだろうな。」
「ひとりで入ってもつまらないじゃない。」
キョトンとしたディーノはその後で小さく笑みを刻んだ。
『可愛いな』とでも思っているのだろう。すぐにわかる。この男のコトは。
「恭弥は可愛いな。」
ホラ。
でもそれ、さっきまで組み敷かれていた相手に言う台詞じゃないよ、と。声をわざと掠れさせながら耳打ちすればディーノの頬の赤みが増す。小さく身じろぐ様にしているのは、熱を逃がそうとしているためだろう。そうやって煽られてまた興奮してしまえばいいのだ。
なでなでとディーノの下肢を撫でる。
「こらこらこら。」
「いいじゃない。」
「よくねぇよ。」
「甘えているんだよ。」
「……もっとこう、子供らしい甘え方をなぁ…。」
「子供らしい、ね。」
そう思うならその子供の前で鍵もかけずに無防備にシャワーを浴びるなという話になるのだが。ディーノは容姿だけでも非常に人目を惹くのを全く理解していない。それが雲雀のように憎からず思っている相手なら尚のこと。そもそも雲雀がついてきたのにも『まぁいいけど』で済ませてしまうのもいけない。
この男の危機管理の無さは一体どういうコトなんだろう。
「性教育って思えば。」
「あのな〜。」
「もっとアナタを見せてよ。」
頭痛がすると言わんばかりに頭を抑えている。
…と言うか頭痛自体はまだしているのかもしれない。さっき頭を打っていたし。
こぶくらい出来ているかな、と。何気なくディーノの後頭部に手を回す。
「…ぃてっ。」
「………。」
出来ていた。
痛そうだねと思いながらも雲雀は若干それどころではない。
「今の顔、いいね。」
「おまっ…え、なぁ!」
痛がる瞬間の顔がどうにも…こう、想像を掻き立てられると言うか。いい顔である。
思わず舌なめずりをする雲雀にディーノが青ざめた。
わかってるじゃない。
雲雀は自分の体を尚も押し付けるように圧し掛かる。ともすれば反論しようとするディーノの口をとっとと塞いでしまうコトにして。
「口開いて、舌出して。」
体を摺り寄せて雲雀が熱を溜めているコトを知覚させてやれば大抵大人しくなる。
(アナタ、僕のコト大好きだよね。)
わかりやすいひとだ。
だってさっきまで不満そうだったのに今ではすっかり自ら舌を絡めてきている。
そんな様を見せられて我慢できるはずもなく。
「いいよね。」
有無も言わさぬ言葉で先を塞いで、逃げ場を無くして(そもそもそんなもの無いけれど)
結局お湯が水になるまでここにいるコトになりそうだ。


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I know.


僕はアナタのコトをよく知っている。
「ああ、もうこんな時間だな。そろそろ帰った方がいい。」
例えばこんな時。
アナタ今心にもないコト言ったでしょ。
雲雀はツ、と。目線を細める。睨んだのではなく呆れたためだ。ディーノは恐らく気づいていないだろうが。
…例えばそう、今みたいに心にもないコトを言った時。
左手の親指をズボンのポケットに引っ掛けるみたいにする。雲雀はそれを知っている。
ディーノはそれを知らない。
帰って欲しくないならそう言えばいいのに。雲雀はせっつくように綺麗に磨かれたテーブルを爪で弾いた。ディーノはそれをぬるい笑顔で見ていた。
困った時に浮かべる笑顔だ。それも雲雀は知っている。
機嫌を損ねたとでも思っているのだろう。子供のワガママにやれやれといったようにも見えるけれど、雲雀にしてみればそっくりそのままお返ししてやりたい。やれやれと言いたいのはこっちの方なのだから。
ディーノは世話の焼ける大人だ。それなりに大きく育っているのに(でもそれもいずれ越してやるけれど)中身を見てみれば呆れるしかない程に子供。雲雀は騒がしい子供は好きでは無かったし、大人ぶってる大人だって好きじゃない。
…それなのに。
ディーノはそれにピッタリと当てはまっていると言うのに、どうしてだか雲雀はディーノのコトがどうしようもなく好きなのだった。宥めすかして全てを曝け出させて端から端まで嘗め回して一切残らず食べ尽くしたい。
それなのに、この、馬鹿な男は、
「どの口がそんなコト言うのかな。」
「どの口って…だって、俺がいつまでもお前引き止めておくわけにもいかないだろうが。」
そんなの全然構わないのに。雲雀は頬杖をつきながら呆れるしかない。
ディーノはどうも雲雀の心配をしているようなのだ。義理堅いと思われているコトも知ってる。約束事や一度決めたコトは確かに貫き通す性質ではあるが、今この場に置いてそれこそお門違い。長居したいわけでもないここに留まらせている、みたいな考えがあるのだろうコトも簡単に窺える。
義理堅かろうが何だろうがそもそも留まりたくない所に雲雀がいるわけがないのだ。それくらいわかるようなものなのに。
「そ。つまりアナタは僕に帰って欲しいってコト。」
「…誰もそんなコト言ってねぇだろ。」
「言ってるじゃない。『帰りたい』とも言ってないのに、帰った方がいいなんて。」
「だって帰り道だって…そりゃお前強ぇけど、あんまり暗くなると心配じゃねぇか。」
「泊めるって発想も送ってやるって発想も無いコトだけはわかったよ。」
僕は知ってるのに、と。
雲雀は今度こそ目の前の男を睨み付けた。
僕はアナタのコトを知っていると言うのに。
どうしてディーノはこうも雲雀のコトをわかっていないのだろうか。
「お前、俺を困らせて楽しんでるだろ。」
髪の毛先を弄ってる。
誤魔化そうとしてるね。雲雀はそれも知っている。
本当は泊めてもいいし、送りたいくらいには思っているのに、拒絶されるのが怖くてそういうスタンスを取ってる、そうでしょう?アナタ結構臆病だよね(アナタの家族さえ関わっていなければ)
雲雀はディーノをよく見ていたから、どうしてもよく知ってしまっている。同じだけディーノも雲雀と過ごしてるわけなのだからもう少しわかってくれてもいいようなものを。
やりきれない。そう思うのは人としてとても正しい感情だろう。少なくとも雲雀は、そう判断していた。
表層で感じ取れる面ではディーノのプロフェッショナルだと雲雀は自負している。
大体知り尽くしてる。雲雀はつまらなそうに唇を僅かに尖らせた。
アナタなんか僕が知っている。だからそんな建前なんかに意味は無い。だからとっとともっとちゃんとしたものが欲しい。
僕は知っているんだから、アナタはもうそれをカタチにしてしまえばまぁるく収まるのに。

(アナタさ、僕のコト、好きなんでしょ?)




雲雀は今、実はこっそりと途方に暮れていた。
いよいよ色々と我慢の限界だった雲雀はアルコールの勢いに任せてディーノに圧し掛かった。手っ取り早く服も剥がしてしまって両手も押さえつけた。実にいい眺めである。
…それはさて置き、
「…ね、逃げないの。」
「や…だって、なぁ?」
何が、なぁ、なのか。とんとわからない。…そうわからないのだ。
ここまでされて何も理解出来ないほど経験がないわけじゃないコトも雲雀は知っている。それは知っているけれど、今ディーノが何を考えているのかは知れなかった。
「だって俺、な。恭弥のコト、ずっと見てたし。」
「…ウソ。」
「ウソじゃねぇよ。」
「見ていたのは僕の方だ。」
「そんなコトねぇ。俺はずっとお前を見てた。」
服をとっとと剥がしてしまったのは失敗だった。
何故ならディーノが心にもないコトを言っているのか、それが判断できない。親指をポケットに引っ掛ける動作。
「そんな戯言、僕が信じるとでも思ってるの。」
「信じなくてもそれが本当なんだからしょうがねぇだろ。」
とろり、と。
ディーノが今まで見たコトが無いほどに蕩けた笑顔を見せた。
これはどういう時に浮かべる笑顔だろうか。見たコトが無いので判断が出来ない。ぬるま湯のように笑う顔ではないのだけは確かだった。
「…何を考えているの。」
「お前のコトを。」
毛先を弄る動作も、ああだから、自分が圧し掛かって手を押さえつけているものだから、しようとしていてもしていなくてもわからない。…わからない。
ディーノのコトなんかわかりきっていると思っていたのに。
「お前ってさ、目を見ているとどういう感情を抱いてんのか…本当になんとなくだけどわかるんだよな。」
「アナタにそんな器量があるとは思えない。」
「ははっ、ひっでぇの。でも、ホントだぜ?恭弥の目はわかりやすい。」
ディーノがわからない。
雲雀は急に不安に駆られて、ディーノの上からどいてしまった。それでも片手だけは離さなかったのはせめてもの抵抗だ。どうしてだろうか。僕は何が不安なのだろうか。
「…不安?」
「―――…ねぇ。」
「ん?」
「騙していたの。」
「何をだよ。」
「僕は、こんなアナタを知らない。」
「…お前が知らねぇと騙してるコトになるのか?」
だって雲雀はディーノをずっと見ていたのだ。それなのにどうして知らないなんてコトがあるのだろう。知らないはずがない。ディーノが雲雀に嘘を吐いたりしていなかった限り。そんなものはあり得ないのだ。
「俺はお前を見てただけだよ。」
「…僕だってそうだ。」
雲雀の望むものが、もうすぐ手に入るかもしれないのに。
どうしてだか雲雀は力が入らない。
ディーノが欲しい。欲しくて堪らない。だけれど、
「僕はアナタの何を知っていたの。」
「…知らないコトがあるとダメなのか。」
「ダメ。」
「―――…そっか。」
ディーノはそうして、でも丸ごとお前に愛してもらえる自信が無い、と。ゆっくり上体を起こした。雲雀はそれを目で追うしかない。
「迷うくらいなら止めとけよ。俺みたいなの、どう考えてもお買い得じゃないぜ?」
静かに俯きながら寝台から下りようとしている。ディーノが、雲雀に押し倒されたその事実を無かったコトにしようとしているのがわかる。わかった。でもそんなものもう自信の欠片も無かった。
知っていると思っていたのは結局雲雀の主観だけの問題だったのだろうか。
ディーノのどこの辺りを雲雀は見ていたのだろう。わからない。知らなかった。
ただわかるのはディーノが誰よりも欲しいと思えるカタチをしていて、知らないコトばかりなのかもしれないというコト。そうして、
「………好き、」

どうしても握りこんだ片手を離せないコト。

「――…ああ、知ってる。」
…アナタは知らない。
僕はアナタがどうなろうとも、もう決して諦められるはずもない程の所に立っていると。
結局ディーノだって知らないのだ。雲雀がどれだけ…本当にどれだけディーノを手に入れてしまいたいのかを。握りこんだ片手にどれ程の愛が込められているのかを。
でも、
「アナタを全部見せてよ。」
でもそんなのお互い様なのかもしれない。

ディーノは小さく俯きながら、俺も好きだよと消えそうな声で答えをくれた。
とりあえず今は、それがわかればいい。


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