*


獣のように

執拗に舐められるのは悪い気がしないようなそうでないような不思議な感じだなぁ。
などと、半ばぼんやりと上の空になりながらディーノは思案する。
悪い気はしない、多分。しかしだからと言って良いか悪いかと訊かれたら返答に詰まる。
チロチロと赤い舌が隙間から覗くのを、薄い膜の向こうにいるような感覚で眺めていた。
何と言うか…仔猫に舐められているような錯覚を覚える。
(コイツの舌はあんなざらついてないけどな。)
しかし魚の骨の隙間まで削り取るような、全部を持っていかれるような、搾取されるような、そういう感覚はあるのだからあながち的外れではないのかもしれない。
だとすると自分は魚の気分を味わっているんだろうか。そんなコトまで考えてしまう。
(食われるのは…嫌だなぁ。)
痛いのはごめんだ、なんて。しかし思うほどに危機感は無い。
雲雀は恍惚と目を細めている。ディーノの太ももに走った一筋の傷口を嬉々として舐めながら。
傷と言っても血が出るほどではなくてみみず腫れ程度の、本当に些細なものだった。
もう痛覚もほとんどない。痛くはない。だから困っている。
(何が楽しいんだか。)
これで例えば血が出ていたり傷口が塞がりきっていなかったりするのであればまだ納得は出来た。
雲雀はディーノを痛めつけるのが好きなのか、傷口を抉る様な(肉体的にも精神的にも)行動を好んでいたから。元々出会いからして勝手に雲雀のテリトリーに侵入してきたのだし、好かれてはいないとは思っていたのでその辺りは問題ない。
雲雀が自分を見る目は鋭利な刃物のようで、常に危険を纏っていた。
ディーノもそういった目で見られるのは慣れっこと言ったら慣れっこだったので、憎まれ役もツライよなぁ、とか。可愛い仔猫に懐かれない寂しさを割と楽観的に捉えていた、のだが。
ちゅ、と。
今度は音を立てながら唇を押し当てていた。
雲雀の鼻先が太ももにあたる。頬が。睫が。
…そもそも、
「なぁ、恭弥。」
「―――…何。」
「何でそんなコトしてんだ?」
そもそも、この子供は他人との接触を嫌っていたのではなかったか。
ディーノが『何で』と疑問を述べると、雲雀は二度ほど瞬いた後に思いきり眉根を寄せた。
「何でって。」
雲雀が言葉を発すると唇が肌を掠める。息がかかる。
「くすぐってぇ。」
ディーノがありのままを言えば、雲雀は不機嫌な顔のまま軽く傷口を噛んだ。
本当に軽くだったので痛みは無い。仔猫がじゃれて甘噛みしてくるような感覚だった。
「アナタ、」
「何。」
「…こんな風に剥かれて、肌を舐められて、何もわからないの。」
こんな風に、とは。勿論ズボンのコトだ。
傷口の場所的に捲りあげても見えない位置なので、雲雀がそこに触れられるというコトはつまり彼の言を借りるなら『剥かれて』しまったからだ。
ディーノはと言えば雲雀の行動の気まぐれさを知っていたから、今度は何をする気だろうかとその辺りでは特に違和感を感じなかった。舐められるのも、前述したように雲雀は傷口を抉るのが好きだったのでその延長線か何かだろうか位だった。
なので。ディーノはありのままを返答した。

それがいけなかった。

雲雀の顔から表情が消えた。
ミスったと思っても時既に遅く、身じろいで少しでも距離をとろうとするディーノを雲雀は許さない。
「…へぇ。」
雲雀の手が太ももの内側を撫で摩る。さすがにびくりと体を揺らすと、少しだけ目を細めながら傷口をべろり。根こそぎ持っていくように思いきり舐められてディーノは動揺した。
「面白いコトを言うね。」
ちっとも面白そうでない雲雀がそんなコトを言う。
太ももの内側に手を置いたまま、雲雀は傷口から唇を離してディーノの目の前に迫ってきた。
相変わらず危険な瞳をしているなぁ、と。ちょっとした現実逃避をし続けたかったがそうもいかない。
それじゃあ、と前置きした雲雀は底意地の悪そうな笑みを浮かべると、
「おバカなアナタのためにわざわざ言葉にしてあげるけど、」
イラナイとはさすがのディーノも言えない。
間をたっぷり置いて、耳元に唇を寄せた雲雀が言うには、
「愛撫。」
太ももに置かれた手が今度はとんでもないところを撫でた。
下着越しとは言え驚かない方がオカシイ。ディーノが『うわぁ』と声を上げると雲雀は上機嫌にその体を押し倒して馬乗りになった。それから舌なめずり。野生の獣のようだ。
「おいしそう。」
「いやいやいや。」
ペチャリと耳を舐められた。
雲雀はオイシイと言った。
「甘い匂いがするの、傷口だけじゃないね。」
ここに来てディーノは思った。
魚のような気分というのは見当外れでも無かったのだと。
雲雀は危険な光を瞳に宿したまま、ディーノの首筋に顔を埋めた。



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*


まるごと

「ご馳走様?」
そう言えばいいの?とばかりに雲雀は尊大な態度だ。
ディーノは頭痛がするような気がした。
実際は気のせいで、痛いのは体の節々とかとんでもないところとか。
喉も痛いような気がする。めいっぱい喘がされたというよりは、散々叫んで抵抗したためだ。
場所は応接室。あんなに大声上げても生徒は愚か、教師すら誰一人来ないのは一体どういうコトなのだろう。もしかしてこんなコトは日常茶飯事で誰も気にしない、とか?
「人を色情狂みたいに思うの止めてくれる。」
……断末魔なら日常化していそうかもしれない。
そもそも雲雀の部屋と言っても過言ではないこの部屋から、例え大声が聞こえてこようが皆我関せずなのだろう。関わったら殺される、みたいな。
実際ディーノは死にかけている(色んな意味で)
はぁ、と。思いきりため息を吐いたディーノに雲雀は興味深そうに顔を寄せた。
「…何だよ。」
「いい気味。」
とてもいい笑顔だ。
ディーノはそうかよと言ってソファに顔を埋めた。
どうやら雲雀はディーノが落ち込んでいる様が楽しくて仕方ないのか、機嫌の良さを隠しきれていない。と言うか隠す気が無い程に機嫌が良い。
こんなに機嫌が良いのはディーノの元家庭教師の前でくらいだ。
だとしたらよっぽど屈服させたかったんだろうなぁ、と。ディーノは割と他人事のように考える。
実際雲雀が思うほどディーノは落ち込んでいるわけではなく、ただベタベタになった体をどうしようかとか身動きが満足に取れないから帰るのにどうしようとか、結構ドライだった。
顔を見られると表情を読まれる可能性があるのでソファから顔は上げない。
雲雀が機嫌が良いのはとりあえず悪いコトではないと思っているので。
ここでひとつ機嫌を損ねさせようものなら何をされるかわからない。平和が一番だなぁ、などと。その平和の代償について考えようとして止めた。
「いつまでそうしてるの。」
これは早くそこからどけ、というコトだろうか。
「しょうがねぇだろ。」
緩慢な動作でそれでも身を起こした。
満足に身動きが取れないと思っていたが、起き上がってみれば結構どうにかなるかもしれない位には平気だった。何よりである。
乱雑に剥かれたのでTシャツは脱げかけて引っかかっていてところどころ湿っている。ズボンはテーブルの向こうに投げ捨てられていて、足元にある下着はグシャグシャだ。
体は互いの体液とか何かそういうのでどうしようもない惨状で、ああもうホントどうしたもんかなとディーノは頭をかいた。雲雀はそんなディーノをじぃっと見ている。
猫じゃらしを前にした仔猫のようだ。
何もしていなければ無害なのに、一度牙を剥けば立派な獣。雲雀もそんな感じである。
「そんななりで帰るの。」
「服ぐらい着るって。」
そんななり、とディーノを評した雲雀はそう言うだけあってディーノとは対照的に何事も無かったかのようなキチンとした身なりだ。襟元までしっかりボタンが留めてあってネクタイにも歪みすらない。
器用なんだな。ディーノは雲雀を心の中でそう評した。
雲雀はディーノに一切手を貸そうともせずに相変わらずただ見ている。
何か拭くものくらい欲しいところだったが、雲雀が首を縦に振るとは思えなかったので言葉にはしなかった。
しょうがないのでそのまま服を着るコトにした。
脱げかけだと身動きが取りづらいのでとりあえずシャツを元に戻す。雲雀はひょいと眉を上げた。
「気持ち悪くないの。」
「良さそうに見えるか?」
誰のせいだとは言わなかった。
ディーノはここに来て尚雲雀の機嫌を損ねたくは無いと思っている。
雲雀はじぃっとディーノを見ている。蟻を観察する子供のような純粋さと残酷さがそこにあった。
時に平気で踏み殺すような。
「ソファが汚れてるんだけど。」
「そうだな。」
今更これ以上汚れて困るワケでもない(十分困っているので)と思い、袖でどちらとも知れない体液を拭った。身動きをすれば拭った傍から滴って来るので先に下着をつけるべきかと足元に手を伸ばした。
相変わらず雲雀は手を貸さない。
「袖、染みになってもいいの。」
「今更だろ。」
見当外れなコトを訊くなぁ、と。遠くで思う。
袖どころかあちこち既に染みこんでいるので本当に今更なのだ。
手を伸ばした拍子にツ、とまたソファに零れた。何とも言えない感覚だ。雲雀は見るのを止めない。
そんな見て楽しいもんでも無いだろうになぁと思いつつも、ディーノは着替えることに専念する。動作はどうしても緩慢になるが、まぁ許される範囲だろう。
問題は遠くに投げられたズボン。
何とも情けない格好だよなと思いながら立ち上がろうとした。
「ついてる。」
「何がだよ。」
「せーえき。」
見ているだけの雲雀がここで動いた。
ディーノの髪に指を伸ばすと、一房摘まんで滑らせる。そうして指の間で拭ったかと思うと今度はそれをディーノに見せた。
「どっちのだと思う。」
「さぁな。」
わかるはずもないのでそのまま答えた。雲雀もそうだねと返した。
指を開くと糸を引くのをディーノが何とはなしに見ていると、雲雀が小さく『舐めて』と呟いた。
「ほら。」
「あのなぁ。」
口元に持ってこられたかと思うとそのまま動かない。
白い液体が雲雀の指を濡らしている。しょうがないなとディーノは雲雀の指を舐めた。
「どっちの?」
「わかるかよ。」
雲雀は動物のようにその指先の匂いを嗅いだ。
「アナタの匂いがする。」
「そりゃ今舐めたしな。」
匂いで判別しようと言うなら順序が逆だ。
と言うか匂いで判断出来るものなのだろうか?
今度はディーノの唇に鼻先を寄せた。
「アナタの匂い。」
「当然だろ。」
しかし雲雀は少し不服そうだ。
眉根を一瞬きゅっと寄せると、
「オカシイね。」
「おかしくないだろ。」
ディーノはどうあってもディーノなので、ディーノの匂いがするのは当然なのだ。
でも雲雀は相変わらず納得出来ない様子でオカシイともう一度呟いた。
…呟いて徐にディーノの下着に手を突っ込んだ。驚いて妙な声を上げてしまったが雲雀は気にした様子も無く、まだ違和感のあるそこに指を滑らせるとその指を再びディーノの目の前に持ってきた。
「舐めて。」
「舐めろって…。」
さすがに突拍子が無いとは思ったが、雲雀が変わらずこちらをじぃっと見ているものだからしょうがないなとまた舐めた。母猫からミルクを貰っているような不思議な感覚がする。
「おいしい?」
「まずい。」
そう言うとディーノが舐めているそこに雲雀も唇を寄せた。
舌先で同じように舐めているのが見える。そのまま離れていくかと思えばそうではなく、今度はディーノの舌をつつき始めた。異論を唱える間もなく唇を重ねられる。
ちろちろと口腔内を舐める様は本当に仔猫のようだと思った。
気づけば少しだけ雲雀の眉が顰められている。
せつなそうだとディーノは思った。


「どうして怒らないの。」
「どうしてって。」
雲雀はじぃっとディーノを見ている。
仔猫のような純粋さでしかし獣の鋭利さが遠くに透けて見える。
「怒らないの。」

まるで恋をしているようだ、と。ディーノは小さく思った。
雲雀はずぅっとディーノを見ている。



股間に触ってばっか
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*


恋の話

何とはなしに指を開けば、するりと指が滑り込んで来て驚いてしまう。
一度キュッとキツく握られた後にあっさりと開放されたと思ったら今度は手を合わせるように添えられた。意味が分からない。
「恭弥?」
「アナタの方が大きいね。」
…どうやら手の大きさを比べていたらしい。
ディーノは納得しかけたがしかしすぐに思い直した。最初の指を絡ます行動の理由はこれに当てはまらない気がしたからだ。
それにどうしてだかディーノには、
「僕より大きい分噛み切ってもいい?」
「いいわけないだろ。」
手の大きさを比べるコトの方がついでに思えてならなかったからだ。

「すぐに追い越すから。」
…『から』何だと言うのだろうか。
そうは思ってもディーノは向こうから接触してきてくれた喜びで割といっぱいだったので、特別気にはしなかった。恭弥にも可愛いところはあるんだな、なんて。的外れなコトを考えていたコトを後悔するのはいつの日か。
「すぐだよ。」
「そうか。」
とりあえず追い越すまでは縁を切るつもりはないらしい。







今日も雲雀は手を重ねてきた。
この時だけは何故か常の危険な殺気やらを完全に封じているのか存外大人しいものだった。
ので、ディーノは成すがままになってる。
数日の間で大きな変化があるとは思えなかったが無害ではあるし、好きにさせるのが一番だという判断からだ。加えてこの時の雲雀は何だかとても可愛いので。
「脳ミソが足りてない分、身長とかに回したの、アナタ。」
「お前しつれーだな。」
こう見えてもやり手なのだ。
と言ってもわざわざ見せびらかせるものでもないな、と。変なところで達観しているディーノは苦笑で綺麗に受け流す。雲雀は少し眉を顰めた。バカにされたと思ったのかもしれない。
「恭弥は確かに、おっきくなりそうだよな。」
色んな意味で。
「根拠は?」
それこそ色々あるが。
「適度な運動にバランスいい食事に規則正しい生活。」
とか?
雲雀はコトリと首を右に傾けただけで返事はしなかった。
ディーノの手に手を重ねたままそれを見ている。縮めと念じられているような気がして複雑な思いにとらわれたりもするが、幼子の必死さのようなものも見えて微笑ましい。…とても本人には言えやしないが。
「指が長いんだね。」
「そか?」
それにしても年上の男の手に触れているのは雲雀的にはどうなんだろうか。
無しではないからこうして合わせてきてるのだろうが、しかし他の人間とこうしている様はどうにも想像がつかない。
そうだとするとディーノだけなのだろうけれど。
「あと1年。」
「1年で追い越すつもりか…。」
この執念は何なんだろうか?







2年経った。
雲雀は最早恒例行事となった『手を合わせる』を飽きもせず続けている。
当初よりは多少差が縮まったような気がしないでもないが、どう見てもまだディーノの方が大きかった。ピン、と。思いきり指を伸ばして比べている様が変に純粋だったのでからかうコトも出来ない。
「アナタまだ大きくなってたりとかするの。」
「…やー、変わってはいねぇ、かなぁ?」
詳しくは測ってないからわからないのだが、服のサイズは変わっていなかったし大きな変化は無いと思っている。雲雀はツンと唇を尖らせた。
「だったら何であまり変わらないの。」
「そうは言われてもな。」
誰のせいでもないだろうし。
背もまだディーノの方が大きい。と言うかこれは勝手なディーノの見解なのだが、雲雀はディーノの背を越せない気がするのだ。あくまで予想の範囲なのだけれど。…しかし相手は雲雀なので何が起こるかわからない気もするので気は抜けない。
ふたりの立ち位置は何と言うか、雲雀のあの性格ゆえかどうにもディーノの方が立場が弱い。
雲雀の前ではディーノの地位や何やらが全て意味を成さないので、目の前にあるのはありのままのふたり、だと少なくともディーノは思っている。
そんなわけで、せめて身体的な大きさだけは勝っていたい(別に大きいから勝ちと言うわけではないのだが、あくまで雲雀の基準で判断すると、だ)
「あと2年。」
更に2年付け足された。







それから5年。
雲雀はディーノの目の辺りまで背を伸ばしてきて冷や冷やさせてくる。
学生服は当に纏っていなくてすらりと着た黒のスーツがやたらと似合っていた。恭弥には黒が似合うなとディーノが言えば雲雀は雲雀でアナタも、と返す。
「アナタには黒が似合うよ。」
「…褒め言葉、か?」
「ただの事実だよ。」
満足げに雲雀が目を細める。魅力的な黒猫のような顔だ。可愛い。
それよりも、と。前置いてから雲雀はディーノの手に指を絡めてくる。
「憎たらしい手。」
ついでに身長。
そう言って今度は睨まれた。機嫌のアップダウンが激しいのもいつものコトながら肝が冷える。
「あと3年。」
首筋に顔を埋められながらそんなコトを言われる。
さらさらして気持ちのいい髪がディーノの頬をくすぐった。
懇願のようだなぁ。そんな風に思う。
何でこんなに拘るのかディーノにはわからなかったが、雲雀は真剣なので彼が満足するまでは付き合おうと思っていた。ディーノを追い越すか、それとも飽きるのが先か。
どちらにせよ終わりはいつか来るのだろうとディーノは冷めた大人の目線で未来を見据える。

雲雀はそっと熱い息を吐きながら今に酔いしれる。







そうして3年。
雲雀の前には出会った頃から更に美貌が増した金髪の男がいる。年上の。
――…ずっと追い越せない大人の。
「恭弥。」
かっちりと着込んだ黒いスーツが悩ましい。
襟元まで緩めもしない辺りがプライベートでは無いと物語っている。
黒いスーツ。黒のスーツ。
黒。
雲雀に似合うと男が評した雲雀の色だ。それを身に纏って足を組んでいる。
すらりと伸びた長い足。余すこと無く自分のモノにしたかった。
足だけでなくて髪も、瞳も、唇も、耳も、首も、…手も、全て全部余すこと無く根こそぎ。
「状況がかなり酷いのはわかっているよな。」
「……。」
ディーノの仕草が物憂い。
雲雀と彼の側近くらいにしかわからないソレ。…ものすごく疲れている。
少し痩せたよね。
ディーノは昔から自分のコトより他人のコトで胸を痛める男であったから。
…もう誰がどれだけ死んだのか、把握しきれているのかもわからない。ディーノが目を伏せた。
長い睫が影を作る。
芸術的だと雲雀は思う。
彼自身は当初から全く意識していなかったようだが、ディーノは本当に美しい男だった。
容貌だけでなく手の先足の先まで完璧だと。甘やかな息すら。
桜色の唇が『きょうや』と動いた。
それだけでも奇跡だと思っていたとディーノは知っているだろうか?
「ここももう危ない。」
「アナタがいるのに?」
「…俺がいても、だ。」
「僕がいるのに?」
ディーノが顔を上げた。
表情が消えている。感情を押し殺して失敗しているのが雲雀にはわかる。ここは眉を吊り上げて思いきり怖い顔をしなくてはならない場面だ。
それでも雲雀はじっとディーノを見つめる。
いつまでもいつまでも追いかけてばかりで追い越せなくて10年も経ってしまった。
早く手に入れてしまえば良かった。
「俺が何を言いたいのかわかるよな。」
「さあ。」
「恭弥。」
「アナタの力では足りない分僕が咬み殺せばいいだけでしょ。」
「いいわけないだろ。」
キュッとディーノの眉が顰められた。
雲雀が今この場にいるコトを暗に責めている。それでもそれを口にしないのはディーノの甘さ。
いつだってディーノは雲雀に特別な扱いをしてくれた。
会いたいと言えば時間を作っては雲雀の元に訪れ、大抵の我が儘は文句を言いながらも笑いながら付き合って。
それでどうしてアナタを諦められると思う?
「お前は日本に早く、」
「僕は僕のやりたいようにするよ。」
「ダメだ。」
ダメだと首を振ってディーノが手で顔を覆う。
長くて綺麗で雲雀が大好きな指。
今でもまだ追い越せない手。
どうして自分はもっと早く生まれてこなかったのだろうか。
「俺なんかに構っている場合じゃない。そうだろ、恭弥。」
「ここにいるよ。」
「…恭弥。」
「いつも僕の我が儘に付き合ってくれるじゃない、センセイ。」
責めるような口調でも甘さが滲んでいる。
周りの人々を、そして雲雀案じているのが透けて見えた。
「今回は、俺たちの個人的な時のものとはわけが違う。」
「どう違うの。」
「―――…わかってんだろ。」
「わからないよ。アナタがいて、僕がいて、それで何が違うの。」
ディーノがくしゃりと髪をかき上げる。隠れていた耳元が現れて、心の中で感嘆の息を吐き出す。
「お前は、賢い男だ。俺よりももっとずっと。」
男、と言われたコトに笑みを刻む。
確実に距離は縮まっていた。
唇がどれほど甘いのかまでは知り尽くしている。
他のところも知り尽くしたいと思ってたの気づいてた?
「アナタの教え方が良かったんじゃないの。」
「茶化すなよ。真面目な話だ。」
「僕はずっと真面目だよ。」
出会った頃から。
手の大きさを比べた時も。
アナタを追い越してアナタに認められてアナタが知りえる誰にも負けない人間になったら伝えようとしていた言葉がある。
「きょう、」

「アナタが好きだよ。」

10年。
積み重ねてきた万感の想いでディーノの手に触れる。
「好きだよ。」
「…………恭弥、だから、今は、」
「アナタを。」
「……恭弥、」
「ずっとアナタを。」
手の甲にそっと口付ける。
だからもっと早く生まれてこれればよかった。そうしたらこの男にこんな顔をさせずに済んだのだ。
「アナタだけを。」
言葉は祈りに似ていた。
ディーノの中にある弱さや甘さ、それをひっくるめてのディーノを雲雀はただ、ずっと。

「……俺は、」
「だから、簡単だよ。」
けれどもこれ以上ディーノを追い詰めたいわけではないのだ。
逃げ道は用意してある。
「アナタはこう言えばいい。『俺もだよ、恭弥。だから愛する俺のために―――…』」
理由はいつでもアナタでいい。
「『…俺のためを思うなら、ここから早く逃げろ。』って。」
それだけで。
「………きょうや…。」
「言って。」
嘘でもいい。
それだけで走り出せる。
取った手をそっと静かに重ねる。ディーノの手は震えていた。これはディーノの優しさなのだと知っている。冷徹になりきれない、哀れで甘い、異国の想い人。
「全部終わったらアナタを貰いに来るよ。」
10年でも20年でも。
例え差が埋まらなくても、雲雀の心はずっとディーノのモノだから。

お前がもっと弱かったら良かった。
ちっとも良かったという口調じゃないディーノがくしゃりと顔を歪めて笑った。
好きだ、と。囁く様に言われた。雲雀はディーノの目尻を唇で拭う。



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*


あなたと

そういったものに興味がない雲雀でさえ随分と整った容貌をしているとは思っていたのだ。
色素が全体的に淡いせいか時折幻想的に感じ取れそうにもなるのだが、中身や行動が割と逆の方に鮮烈なため残念ながらトータルで見ると『綺麗だけど変な外人』になる。
少なくとも雲雀はそう思っている。
冗談でもかっこいいだとか頼りになるだとか兄貴分だとか思ったコトもないしこれからもない。
(ああ、でも、)
目を細めて記憶を辿る。
思い出されるのは武器を交え、血が飛び交う、あの光景。
――…ああ、でも、
(たたかっている時のアナタはとても素敵だ。)
ギラついた目や好戦的な笑みは常の甘い、甘ったるいイメージをまるで嘘のように消し去っていて、しなる身体もその服を一度剥いで見てみたい位に魅力的だ。
(…魅力的って。)
自分で考えておきながら雲雀は眉間に皺が寄るのを抑えられない。
何も、いきなりこんな風に一々思い返したりする性質ではないのだ。元々。
それなのに思考に浸ってしまっていたのには、それなりに理由があったからであって。
「………。」
そう、理由がある。
「………何、人の顔をジロジロ見ているの。」
「え?あ、えっ…?日本、語?」
知っているあの人のよりも高くて舌足らずな声だ、と。雲雀はひとつ息を吐く。
ついで言うならば身の丈なんて自分よりも僅かだが小さいくらいだし、顔の輪郭も大人とは程遠い。目は零れそうな程に大きく見えるし何より全体的に細くて折れそうなくらい弱弱しい。
さすがの雲雀も思考に逃げたくもなると言うものだ。

理由は、そう。
目の前にいる例の『綺麗だけど変な外人』のミニチュア版にあった。


10年後バズーカだかの不具合とか言われても雲雀にしてみれば割とどうでもいい。
そんなコトわかっても雲雀にはどうしようもないのは変わらないのだし。
傍らでちょこんと座ってるディーノを見る。14歳…にしては幼すぎるように見えるのでもっと下なのだろうか。でも制服を着込んでいるところを見るとそんなに幼いわけでもないのだろうか。
そもそも雲雀のよく知るディーノもいい大人のくせに子供のようなところがあったから見た目や動作では判断基準にならないか…。
それにしても小さい頃から整った人だったんだねと雲雀はむしろ呆れてしまった。
これであの貞操観念の低さは納得がいかない。
イタズラとかされていたんじゃないの?そう以前から疑っていたのだが、もしかしなくてもこれは結構な証拠なんじゃないだろうか。
今だってホラ、
「な、なに?」
「細すぎない?アナタ。」
試しに腰から足にかけて手を滑らせてみたがディーノは驚いてる程度で抵抗をしない。
…これはいけない。
ディーノに甘すぎる部下達を雲雀は本気で呪った。
「こういうコト誰かにされたりした?」
「え?えー…いや、されてないと、思うけど…?」
……微妙だ。
大人になっても雲雀が半ばセクハラ紛いに触ってみてもくすぐったいと笑うくらいだ。あからさまなとこを思いきり撫で上げても――さすがに動揺はしたものの、雲雀が適当にはぐらかせばすぐに納得してしまう。
経験がないわけじゃないんでしょ、アナタ。
自分で考えときながら苛立ちは隠せない。
大人の余裕でアレならムカつくけど心配はないのだが、どうにもそれだけで済まされない部分があの大人にはあるのだ。世話の焼けるコトに。
だから雲雀がいつでも傍にいるべきだと言うのに。
「セクハラされたりしていないの。」
「さ、されてねぇよっ。男だぞ俺!」
そこが言い訳にならないから困っているのだ。
試しにあちこち触ったり撫でたりを繰り返してみる。ディーノはひゃあとかわぁとか声を上げるもののよくわかっていない様子だ。…頭痛がする。
「こういうの、セクハラって言うんだけど?」
「え?いや、違う…だろ?」
違わなくない。
認識の違いなのだろうがこれはダメだ。絶対ダメだ。
「だったらキミの中のセクハラってどういうの。」
「どういうって…。」
困惑顔だ。
でも許さない。これはれっきとした情操教育だ。
常日頃『家庭教師』を名乗っている男の過去がこんなんではしめしがつかなすぎる。
「やってみなよ。」
「や、やってみなって…。」
鸚鵡返しばかりだ。結構気弱だったんだ?とちょっとだけ雲雀は面白い。
これは脅しがいのあるネタかもしれない。
戻った後に優位を知らしめるのに使えるかもね、と。雲雀はひっそり笑う。
「ホラ。」
僕にしてみなよと顔を近づける。
あちこちに傷があるのには顔を顰めたが、今はそこを気にしてる場合じゃなく。
ディーノは雲雀に見つめられる(恐らく睨まれてると思ってる)のに耐え切れなくなったのか一度目を瞑り、雲雀がもう一度先を促すと意を決したように肩に手を置かれる。
「………。」
「何、これだけなの。」
ディーノはふるふると首を振って何事かを逡巡している。
そんなに恥ずかしいコトをしようとしているのだろうか。むしろ雲雀はわくわくしてしまう。
「早く。」
「……お、怒るなよ。」
上目遣いで雲雀にそんな風に確認をとってからディーノは、
ちゅ。
雲雀の耳に小さくキスを落とした。
「こっ…こういうのとかっ。」
ディーノは半泣きになりながらそんなコトを言っているが雲雀はそれどころではない。
思わず耳を手で抑えて言葉も出なかった。
なんとも。
なんとも可愛らしいセクハラである。
確かにこれは試したコトなかったね、と。雲雀のよく知るディーノに戻った際に仕掛けてやろうと心に決める。その時のディーノの反応が見ものだ。
雲雀はそこまでは機嫌良く、結構楽観的だった。
そこまでは。
ディーノが余計なコトさえ言わなければ。
「ほ、ホントは舐められたりとか、したんだけど。」
「………………誰、に?」
雲雀の周りの温度が目に見えて下がる。
ディーノにも勿論伝わり、涙目になりながら震えていた。
機嫌が良ければそこをからかって楽しむのが雲雀だが、生憎とジェットコースターが急降下するかの如くあっという間に機嫌は地の底だった。
「言わないと怒るよ…?」
既に怒ってるじゃん!と顔に書いてあるディーノがこくこくと頭を縦に振りながら言うには、
「い、家、光。」
「イイエミツ?」
「っいえみつ。」
「………ふぅん。」
知らない名前だ(と言うか雲雀が記憶に留めていないだけだった)
察するに日本人だろうか。
この見た目だけは犯罪的な人に、唯一『セクハラ』と思われる行為を行った人物は。
「――…噛み殺す。」
不穏な台詞を洩らした雲雀に勘違いをしたディーノが、ぴゃ、と声を上げる。
自分が殺されると思ったらしい。
これがあんな余裕のある(ように見える)大人(の皮を被っているだけだが)になるのだと思うと微妙に感慨深いが今はそれどころではない。
「それじゃあ、キミにもお礼にセクハラしてあげる。」
「そ、それじゃあって、それじゃあって!?」
混乱するディーノを無視してその耳元に唇を寄せる。息を吹きかける。
ピクン、と。とてもいい反応を見せるディーノに気を良くして、そのままソファへと押し倒す。
彼の言うセクハラを忠実になぞるよう、雲雀はぺろぺろと耳を舌で嬲った。
「うわ、あ。」
「気持ちいいの。」
「へ、んな、かんじが、」
「…そう。」
ますますあの大人に仕掛けたくなった。
しかしとりあえず今はこの小さいディーノに情操教育を施すのが先だ。
「今から僕のするコト、他の誰かに少しでもされたりでもしたら、それは全部セクハラだからね。」
「い、いまから、せ、せくはら、すんの?」
「僕はしてもいいんだよ。」
雲雀は真剣にそう思っている。
ディーノ限定ではあるが。
首筋に舌を這わせた。
「うぅ。」
「……いい?他の誰かにされたら僕が――…噛み殺しに行くからね。」
誰を、とは敢えて言わずにディーノに甘く囁いた。



所変わって10年後。
件の『雲雀のよく知るディーノ』は10年前ではなく10年後に飛ばされていた。
そうなると10年後のディーノは10年前――…今ここから計算すれば20年前だが…に飛ばされたのかもしれないが、ディーノはそれら全てを把握してはいない。と言うかディーノからしてみれば通常の10年後バズーカの影響と同じように10年後にに飛ばされたので、不具合とかそういうものは関係なかった。
そうしてそれらに考えを巡らせている場合でもなかった。
(ここどこだ…。)
ディーノは一応ギリギリではあるが10年後バズーカの存在と効果を知っていて、かつ、それに自分が当たったコトまではわかっていたので、恐らく10年後であるのまではわかる。
しかし場所まではさすがにわからない。
これが自分の屋敷だったり見知った土地だったり、そういうものであったなら話は別だったのだが。
ぐるりと周りを見渡せば、ものすごく豪華な日本家屋に見えた。歴史的建造物と言わんばかりの豪華さだ。
そういった目は肥えていたディーノは、アバウトながらもこれらが恐ろしく根の張るコトがわかる。
豪華と言っても下品な煌びやかさではない。ディーノの好みではある。
開け放たれた障子から見える庭には、よく手入れをされた木々や小さな池、穏やかな日差しと風を室内に届けてくれる。
とりあえずものすごく歓迎されている…というコトでいいのだろうか。未来の俺は。
人の気配が全くしないため緊張感も持続しない。
下手に声を上げるのも躊躇われて、壊さないように一定の距離を取りながら部屋のあちこちを見て回る。どこか落ち着いた雰囲気もあるそれらは、家主の人柄だろうか。
「とりあえず靴は脱いだ方がいいよ。」
「!」
人の気配など全く感じなかったと言うのに。
いつの間にか背後の入り口の方から声が聞こえた。
ディーノは思わず体を強張らせて仕込ませていた鞭を手にしようとする。
…が。
「言っておくけど、抵抗はしない方がいいからね。」
ぞわり、と。思わずディーノは震え上がった。
入り口の方から聞こえていた声が、いつの間にか耳元でしたのだから。
半端に動かした手すらも動かせない。それ程にディーノは緊張していた。
…一瞬でわかった。
この男には勝てない。
自分よりもずっと格上なのが痛い程にわかる。勝てない。
少しの間無言の時が過ぎる。ディーノは動けなかったし、背後の男は何も仕掛けてこない。
そこまで来てそういえば、と。
ディーノはほんの少しだけ緊張を解いた。
そういえば、恐ろしいほどの威圧感はあるものの、殺気は全く感じ取れない。
それにやっと気づいたからだ。
「アナタ、こんなにへなちょこだったんだね。」
「………きょ、」
そろそろと背後を振り向けば、さも楽しげ(実際楽しいのだろうが)な表情を浮かべた、見知った面影がそこにあった。ディーノは思わず相好を崩して、ついでに緊張も解いてしまった。
「今気づいたの。」
「恭、弥?」
「薄情だね。」
ほぼ変わらない目線で雲雀が意地悪く笑みを刻んでいる。
恐ろしいほどに色気が増した雲雀恭弥がそこにいた。
黒の和装。これまた恐ろしく似合っている。隙間から覗く鎖骨が、胸元が、大人の男のものになっていてディーノは目に見えて動揺する。
「そういえばアナタ、年上に弱かったものね。」
雲雀はクスクス笑いながらディーノの腰をいやらしく撫で上げる。
「…恭弥。」
「他に言葉を知らないの?」
いいけどね、と。今度は太ももの内側を撫で摩る。
「ちょ、」
「言ったでしょ。抵抗はしない方がいいって。『今の』アナタなら兎も角、10年前のアナタが僕に勝てるはずが無い。」
そう言いながらディーノのズボンのベルトに手をかけてくるのだから、思わず止めに入ってもしょうがないとディーノは思う。しかしディーノの制止など雲雀にしては全く意味の無いものだったようで、いともあっさりバックルを外してしまう。
「おま、コラッ、洒落にならねぇってっ。」
「僕が洒落でこんなコトすると思うの。」
「だ、だって…こんなん、」
「…アナタ、まだ僕に抱かれていないの?」
「へ。」
ディーノは無意識に凍りついた。
とんでもない台詞を今、この目の前にいる男に吐かれたような気がしたからだ。
気のせいだよな、と。どうしても思いたいディーノをよそに、雲雀はもう一度繰り返そうとする。
「ねぇ。聞いてるんだけど。僕とセッ――…。」
「ええぇぇぇえぇえええ!?いや、え!ちょ、えっ!?」
「うるさいよ。」
ちょん、と。ディーノの唇を雲雀が塞いでくる。
その名の通りに、鳥のように軽く啄ばんであっさり離れていった。
「……きょ、いや、ちょっと待て、落ち着け。」
「落ち着くのはアナタでしょ。」
本気でパニックだ。
雲雀のあのストイックそうな唇からとんでもない台詞が吐かれたり、まるで冗談のように口付けが落とされたり。これは…これは一体何なのだろうか。
「まだなんだ?そう、それはそれで別にいいかな。アナタも心構えが出来るでしょ。」
「いや、だってお前…。」
「ちなみにここ、僕の家なんだけど。」
「…へ?あ、そうなのか。」
「そう。それで、10年後のアナタはここにいた。」
「そう…なるな。」
「この部屋、アナタのために用意したアナタの部屋。」
「………。」
「何でアナタはここにいたんだろうね。」
ディーノはもうどこに混乱したいいのかわからなかった。
ディーノの知る雲雀は戦闘狂で、兎に角そういった方面に興味があるようには見えなかった。少なくともディーノの目線からは。
それを目の前の雲雀曰く、『僕に抱か(自主規制)』だとするのだとしたら、雲雀が能動的にという可能性がとても高い。…高い、が。
「どうしてまた…。」
俺なんだ?とディーノは頭を抱える。
どうにも好かれていたとは思いがたい扱いばかりを受けていたからだ。会えば毒舌かトンファーなどの洗礼。甘い言葉も態度も一切された覚えが無い。嫌がらせのように色々とちょっかいをかけられたりとか本当にもうそういう扱いだったのだ。
むしろ特別酷い態度をとられていた気がしてならない。
「アナタが僕に夢中だったから?」
「……へぇ。」
「否定しないの。」
「だって…もう何が何だか俺…。」
へなへなと足元の力が抜けた。
10年後に飛ばされたという事実よりもこちらの方が衝撃的過ぎて頭が痛い。
(だって。)
…だって、
「あ、ありえないだろ…?」
「何でそう思うの。」
ディーノの目線を追うように雲雀も肩膝を畳につける。
雲雀からはディーノの知らない、しかしいい香りがした。香でもたきしめているのだろうか。
「嫌なの、アナタ。」
「考えたコトねぇもん、そんなん…。」
だって雲雀はディーノの生徒で年下で男で。
かたやマフィアのボスで、かたや同盟ファミリーの幹部候補だ。
いや、肉体関係だけならありえるのだろうか。
「…でもお前相手には不自由しなさそうな…。」
「何言っているの。」
気づけば雲雀の顔が不機嫌そうに顰められている。
傷ついているようにも見えてディーノは更に動揺した。
「恭弥…。」
「……アナタが、後悔するのか、どうなのかは、僕には言い切れないけれど。」
一呼吸置いてから、雲雀がディーノの額に額を寄せる。
「僕は後悔もしていないし、アナタを手放す気も、これから先にだってずっと無いから。」
だから覚悟しておいて。
雲雀から目を逸らすコトも出来ずにディーノはどうにも、熱烈な告白を聞かされたような気がする。
どうにもならなくてディーノは頬を染めた。
ディーノは至ってノーマルの趣向の持ち主だったので、そっち側の世界は知っていても他人事ではあったのだ。しかし、これは…。
(ど、どきどきしてる…。)
恋する乙女のような反応に泣きたくもなった。
「トキメイタ?」
冗談めかして雲雀が意地悪く笑う。
ディーノは反論も何も出来なかった。
「まぁ、そういうわけだから。アナタは僕の言いなり。」
どうしてそうなるんだとも言えない。ディーノは自分のコトで手がいっぱいだった。
「アナタの時代の僕と、まだだって言うなら、最後まではしないであげる。」
そう言いながら唇を塞がれる。
濃厚な、時を重ねた、甘やかな大人の。
他の感情を噛み殺されているような錯覚を覚える。
もしこれら全てがディーノと築いていったものだと言うのなら、ディーノが後悔しているとは思えなかった。思いたくなかった。
ディーノは雲雀をそういった目で見たことは無かったが、愛しいとは思っていたので。
「舌、絡めて。」
何故か逆らう気にもなれずに言いなりになってしまう。
雲雀の指が、掌が、ディーノの体に触れていく。あからさまな熱を込められたそれに翻弄される。
そんなディーノに雲雀は満足げに笑った。
「だって僕だけはアナタにセクハラしてもいいんだから。」



「お前ってずっと前からセクハラ野郎だったんだな。」
乱れた布団の上にディーノがゆるりと座っている。何とも物憂い。
くしゃくしゃのシーツとは反対にディーノの衣服に乱れは全く無かった。
「…アナタが気づかなかったのが悪いんだよ。」
風呂上りの雲雀は湿ったままの髪をタオルで拭くのを止めて、入り口を静かに閉めディーノとの距離を詰める。ゆっくり、ゆっくりと。
「だって、お前、俺には特別冷たかったじゃねぇか。」
「アナタが気づかないから。」
「俺のせいかよ。」
「アナタのせいだよ。」
ディーノの傍らまで近づくと雲雀は顔を寄せた。
「10年続くとは思わなかった?」
「……。」
「後悔している?」
「してる。」
「…ふぅん。」
「お前はだって、俺には勿体無い。」
雲雀ではなく遠くを見ながらディーノがそんなコトを言う。
…先程まで雲雀が愛でていたディーノとは落ち着きが違う。どちらもいとおしかった。ゾクゾクする。
「アナタ、10年前はあんなに子供だったんだね。」
「そうだな。」
「20年前なんてアナタ、どれだけ甘ったれだったの。」
「…ああ、そうだな。」
でも、と前置いてから、ディーノの耳元に唇を触れさせる。
「でも、いつのアナタも綺麗だった。」
「――…趣味わりぃよな。お前はずっと。」
ピクリと体を小さく震わせたディーノが自嘲気味に笑う。
ひとつも乱れていない衣服を乱したい。髪も。表情も。
だってディーノが落ち込んでいるのだ。雲雀は慰めるしかない。…慰めたい。
「…どこに行っていたの。」
「20年前。懐かしかったよ。」
目を細める様はいとおしさで溢れている。それ以上の憧憬と、悲しみ。
「まだ生きていた。」
「……そう。」
誰とは聞かない。
…今日ディーノを、イタリアから誘拐紛いに連れ帰ってきていて正解だと思った。
「僕のコトを思い出したりした?」
「………少しだけ、な。」
これは嘘だな、と。雲雀にはわかる。
それでも苛立ちはしなかった。だってディーノはこの部屋に雲雀が戻ってくるまでに、逃げようと思えば逃げられたのにそれをしなかったのだから。
「それじゃあ慰めてあげる。」
ぺろりと耳を舐め上げた。
「…っ。セクハラはいけない、んじゃ、ねぇのか。」
「僕だけはしてもいいって言っているでしょ。」
言ってわき腹を撫でる。捲くり上がった裾から刺青が見えた。
「ん、お前まだ、髪濡れてる。」
「入ってきたばかりだからね。」
そんなコトはどうでもいい。
後ろから抱き込むようにして肩口に顔を寄せると、冷たい、と。ディーノが笑った。
「恭弥はいつも、いい匂いがするな。」
それはアナタも。
雲雀はディーノの甘い匂いが好きだったので、同じようにディーノが雲雀を思うような、そういった香りを探したのだ。彼の匂いを邪魔しないで、それでも記憶に残るようなそれを。
ディーノが気に入ったという香を衣服にたきしめるコト。それは最早雲雀の生活に溶け込んでいる。
「アナタのためだよ。」
「情熱的だな。」
覚悟しておいてと雲雀は言った。
他の誰かにされたらい噛み殺しに行くとも。
ディーノがそのコトを覚えているのか本気にしているのか、はっきりと雲雀にはわからなかったが。
口付けに答えるその仕草に嘘はないと思う。

だからディーノはいつだってずっと雲雀のものなのだ。



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*


愛の話

雲雀がディーノの寝床に潜り込むようになったのはいつの頃だったか。

いつものようにふかふかのベッドで気持ちよく眠っていたら、ふわり。温かい気配。
殺気も感じなかったし何より気持ちよかった。瞼が完全に下りていたコトもあってディーノはそのまま朝を迎えたのだ。
目覚めた時の驚きようは推して知るべし。
ベッドに身を沈ませたディーノの体に密着するように瞼を下ろしていた雲雀は、ディーノが起きた気配を感じてか若干億劫そうに目を開いた。鋭い眼差しにこれは何かの間違いだろうと思考を逃避させようとしたディーノに、
「おはよう?」
ディーノの枕を半分以上占有していた雲雀が何事も無いかのようにそういうものだから、ディーノもディーノで『おはよう』と返すしかなかった。
二の句を紡げずにいるディーノを尻目に雲雀は仔猫のように、くわぁ、と。小さく欠伸をすると、もぞもぞと体を更に寄せてくる。
これはもしかして邪魔だからそこをどけというコトか?
そう思ったディーノが体を離そうとすると、雲雀が眉を顰めながら乱暴に腕を掴んで引き寄せてきた。
「何、どこに行くの。」
「……いや。」
どこというワケではなかったが、とりあえずこの非現実的な現実から目覚めたい、などと混乱した思考の中にいるディーノに雲雀が笑う。
「まだ朝も早いよ。」
理由も何も言わずに、こうあるコトが当たり前だとでも言う表情で雲雀が謳うように言った。


それからというもの、会う機会がある時も無い時も、朝気づけば雲雀が隣にいるコトが珍しくは無くなった。ディーノの屋敷に泊まる時は客室を用意しているにも関わらず必ず。日本のホテルに宿泊している時でさえどこから嗅ぎつけたのかどう入ったのか、時折気を緩めてた矢先に潜り込んでいたりもする。
「だから客室なんかいらないって言ってるじゃない。」
「…何でだよ。」
「ここで寝るから。」
身に着けているYシャツもそういえばディーノのものだ。
と言うかディーノが寝巻きで着ていたYシャツを剥いで着ている。そこまでされて気づかない自分も自分だが色々と本当にいつの間に、と。ディーノはこめかみの辺りを指先で押さえる。
雲雀の体温が心地いいのが悪いとか、とりあえずそんな言い訳しか思い浮かばなかった。
ごそごそと寝心地の良い場所を確保するためにか身じろいだ雲雀に、呆れより何より愛嬌を感じてしまう。



それから少しして雲雀の言う通り、客室は用意しなくなった。
逆に雲雀用の着替えをディーノの自室に常に用意しておくようになった。
しかしそうまでしても雲雀はどうしてもディーノの上着を引っ剥がす。
「そこの椅子にかけてあるだろ。お前用の。」
「だってアナタが着ていたものの方が温まってていいじゃない。」
「…この部屋寒くねぇだろ?」
「そうだね。」
雲雀はあっさり認めたが、しかし改善する気配は全く無い。
ディーノもディーノで寒くは無かったし自分の服を勝手に着られるのが嫌だとか神経質なわけでもなかったので、これについても早々に諦めをつけてしまった。
「アナタは温かいね。」
「……そ、か?」
ディーノにしてみれば雲雀の方がずっと温かい気がする。
擦り寄る雲雀をディーノは一度も拒絶しなかった。


そうして着替えも用意しなくなった。
雲雀も、ディーノの寝ている隙に忍び込むというコトは稀になり、まだ起きている時に堂々と入ってくるようになった。当然と言うかノックも無しに。
「何を読んでいるの。」
「ん?日本の絵本。ツナん家にいた子供に貰った。」
「…ふぅん。」
ちょうど読み終えてパタンと閉じると素早く雲雀に奪われる。
そうしてどうするのかと思えばそのままカーペットに落とした。
「こら。」
「手が滑ったんだよ。」
悪びれもせずにそう言いながら雲雀はディーノが寝転んでいたベッドに上がりこむ。
キシ、と。小さくスプリングが軋む音がしたと思えば、いつの間にかマウントポジションを取られていた。
「恭弥?」
「…脱ぎなよ。」
やはり引っ剥がす気らしい。
しかし雲雀は雲雀でもちろん裸で部屋に入ってきたわけではないので、キチンと着るものを着ている。これでどうして引っ剥がそうとするのか、ディーノにはとんと見当がつかない。
「いつもいつも、何でだよ。」
「嫌ならいいよ。脱がしてあげるから。」
ディーノの質問に雲雀は答えない。
器用な指先で素早くボタンを外して、あっという間に脱がす体勢に入っていた。
「おい、恭弥。」
「何。自分だけ剥がれるのが不満?」
上体を起こしたディーノに雲雀は仕方がなさそうにそんなコトを言う。
そうじゃなくて、と。言おうとしたディーノの手を取ると、アナタも脱がしていいよ、と。雲雀が何食わぬ顔で言った。
「いや、そうじゃなくてだな、」
「早くしなよ。」
パッとディーノの上着を剥いでしまった雲雀はディーノを変わらずじっと見つめている。
悪意が感じられないその様にすっかり絆されてしまったディーノは、しょうがねーなと雲雀の上着に手をかける。
不器用な手つきでボタンを外していく様を、雲雀はひどく楽しそうに目で追っていた。



着ていても剥がれるなら一緒だ、と。今度は寝る際にシャツを身に着けなくなった。
ラフなズボンを穿いているだけのディーノに、雲雀は驚きも呆れも怒りもせずに、何故か自分のシャツを脱いで投げ捨てる。
「…何してんだよ。」
「下も脱げば?」
ディーノの話も聞かずにベッドに潜り込みながら雲雀が提案した。
「何でだよ。」
「いいじゃない、別に。」
そうして悪びれもせず、ディーノのズボンに手をかけてきた。
「こらこらこら。」
「上も下も一緒でしょ。」
全く意に介した様子も無くずるりと膝の辺りまで引き下ろされてディーノはさすがに慌てる。
ズボンだけではなく下着ごとだったからだ。
男同士だからそこまで羞恥があるわけではないが、年上の男の全裸を間近で見るとか普通に考えてどうなんだとか。そう言った類の反論をしようとしたディーノの言を塞ぐようにして、
「アナタは全体のバランスがいいんだね。」
「…は?」
「褒めているんだよ。」
薄く笑った雲雀は、アナタも僕の脱がす?と。また悪意を全く感じさせない声色で問うてきた。
「男二人真っ裸になってどうすんだよ。」
「どう、しよっか?」
茶化すように笑う様は本当に上機嫌な仔猫のようだ。
ディーノの腰の辺りの刺青を撫でながら、雲雀はそのまま上体を傾けてくる。半ば押し倒されるようなカタチでベッドに転がされた。
重なるようにしながら雲雀が擦り寄る。
ああ、とても懐かれているんだな。などと、今更のような、そんなコトを考えながらディーノは苦笑した。
雲雀の髪が首筋に当たってくすぐったい。ディーノがそう言えば雲雀は意地悪く笑いながら首筋に息を吹きかけた。
じゃれるようにしてお互い笑いながらベッドを転がる。
遠くで警報のようなものが聞こえた気がしたが、ディーノはそれを気のせいだと一蹴してしまった。それを知っているかのように雲雀の口元が弧を描く。



まるでそれが当然のコトのようにディーノの下肢に雲雀の指先が触れる。
ディーノが小さく震えると、それが合図のように雲雀はゆるゆると手を動かし始めた。
お互い何も身に着けていなかった。
ディーノの寝所でふたりが揃う時、夜着を一切身に着けなくなったのはいつからだったか。
「あっ、こら。」
「大きくなってきた。」
いっそ無邪気に取れるような口調で雲雀が笑う。
そのくせ手の動きに容赦も躊躇も無い。じゃれ合いの延長戦上のような触れ方。ディーノは抵抗出来なかった。…いや、抵抗する気が起きなかった。
「すごいね、アナタの、もうこんなになってる。」
当然のようにディーノの体に触れる雲雀に、ディーノは何故か違和感を持てない。
雲雀の行動はいつもそれが当たり前とでも言うようで、何も悪くないような。
「…ん。」
「イイ?きもちいい?」
どこもおかしくないような。
「う、」
「指だけでもイけそうだね。」
雲雀は上機嫌だ。
不慣れな手つきながら不思議と一層煽られていくようにディーノの思考は薄くぼやけていく。なぞられる度に何か、何か、底知れぬ何かに震える。
「怖いの?」
わからない。
ただ雲雀はいつもと変わらぬ鋭い眼差しとからかうような仔猫の笑みを浮かべていた。
被さるように上にいる雲雀の下肢がディーノの太ももに触れる。
「アナタも触ってみる?」
問う雲雀は何の違和感もない。手を導かれても、おかしい、と思う前に思考を乱される。
お互いに触れ合いながら雲雀は笑って息を吐き、ディーノは声を殺しながら酸素を取り込む。耳元で荒く呼吸を繰り返す雲雀に愛しさに似た締め付けられるものが渦巻いて止まらない。止まらない。…止まらない。
「出そう?出していい?」
珍しく切羽詰ったような口調の雲雀にディーノはどうしようもなくなる。兎に角頷いて雲雀の首筋に唇を寄せる。ピクリ。驚いたように雲雀の肩が揺れた。
「…んっ、」
雲雀が堪らない、と言うようにしゃくり上げる。強くなぞってなぞられて数瞬。
後には大きく呼吸を繰り返す音が部屋に満ちる。
「……はぁ。」
「…いっぱい出たね。」
「おま、え…なぁ。」
雲雀は小さく笑うとディーノの唇に唇を重ねてきた。
それがそうあるべきだというように雲雀はディーノの傍にいる。



体を重ねるようになった。
唇も何度も重ねた。
気づけば雲雀も随分と成長してすっかり大人の男になっていた。
綺麗な指は、手は、唇は、何もかも当然のようにディーノへと触れる。
秘め事のようなそれは、しかし雲雀はそうは思っていなかったのか、
「…あ。」
「えっ。」
テーブルを挟んでボンゴレ10代目であるツナと、ディーノが話をしている時だった。
こういう風に仕事として畏まって会うのは初めてだったものだから、とても緊張しているツナにそれを解す様にディーノが笑っていると。
するり。室内に入り込んできた雲雀が何食わぬ顔でディーノの顎に指を添えたかと思えば、上向かせて咬みつくように口付けた。
パクパクと口を開閉して驚いているツナを視覚に端に捉えればさすがのディーノも慌てる。自分たちのしているコトは決して世界に受け入れられるようなものではなくあくまで個人的な解釈と充足の元にあるべきものであって当然そうあるべきものではないのだと違和感をずっと持てなかった自分にディーノはやっと違和感を覚えた。
「……どこから、」
「何言ってるの、そこのドアから入ってきたの見ていたでしょ。」
違う。ディーノが言いたいのは、
「ひ、ひひひヒバリさっ…!」
「ねぇ、まだ終わらないの。この人に用があるなら僕が代わりに聞くって言ってるじゃない。どうでもいいから早く終わらせて。」
顎に添えていた指をそのまま首筋の刺青に滑らせながら、雲雀が不機嫌そうに言葉を発している。ディーノは身動きが取れない。ディーノの思考よりも体がずっと覚えている雲雀の指が、手が、唇が、まるで当然のように施されると違和感を抱けない。
…どこから、
「きょうや。」
「早くアナタの部屋に行きたい。」
いつから、
「……ツナが、困って、る。」
「今更でしょ。」

最初から?

唐突に恐ろしくなって雲雀に目を向けた。
雲雀は何もおかしくないという表情でディーノを見つめながら、
「だってアナタ、とっくの昔に僕のものだから。」
ね、センセ?
舌を絡めてくる雲雀はどこまでも正気だった。
視界を掌で塞がれてツナが見えなくなると、ディーノはまるで自分がずっと異常で雲雀がとても正しいものだと、思えて、拒絶という拒絶を、そういえば、結局、一度も、ディーノは、

雲雀がディーノのなかにもぐりこむようになったのはいつのころだったか。



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